2016年11月1日火曜日

旅その1 イスラエル入国そして出国



2016年7月はじめてのパレスチナ。パスチナを弾圧するイスラエルにお金を落とさないよう入念に組まれた、10日間あまりのウェストバンクの旅。エスニシティも年齢も宗教もジェンダーもとびきりばらばら。でも「パレスチナに自由と解放を」という思いはひとつ。学ぶことばかりの旅でした。(大竹秀子)





5人も入国拒否


ヘブロンで撮影された、この写真。イスラエル政府の施策でゴーストタウンと化したCエリアで掲げたボードには、一緒に旅をするはずだったのに入国を拒否された仲間たち5人の名前が記されています。彼らは、なぜ、入国を拒まれたのか?

ビデオへのリンクはここから
このビデオでは、空港やヨルダンとの国境でのやりとりを退去させられたご本人たち3人が語っています。「仲間」とはいっても出発前、ワシントンDCでの半日あまりのワークショップが初顔合わせ。クセ者ぞろいうのグループの中でも、オーエンとビナはひときわ目立つ魅力的な人たちでした。


黒ヒゲのオーエン


オーエンの入国拒否は、本当に驚きでした。だって本当に好人物だったから。公立校で先生をしている彼は2人の子供をもつパパ。ヒップホップ系のノリのいまどきの若者ですが、父の日に幼い子供たちからプレゼントされた手描きのTシャツを着て、子供たちと一緒にパレスチナに行くんだとはしゃいでいました。究極の楽天主義、ピースフルで温かい人柄でいち早くグループ全員の心をつかんだのです。オーエンが引っかかった、理由は「ヒゲとあまりにもありふれた名前のせいらしい」という知らせは、なんともシュールな悪い冗談としか思えませんでした。

オーエンは、頭を剃り、黒々としたあごひげをはやしています。入国管理担当官はパスポートの名前と彼の顔を照らし合わせてこう尋ねたと言います。

「キミはムスリムなのにアメリカ人ぽい名前に改名したのか、それとも名前は前から同じだけど、最近、ムスリムに改宗したのか、どっちなんだ?」思わぬ問いに面食らったオーエン、「僕、ムスリムじゃないんだよ、ブラザー」。家系は絶対にムスリムだときめつけて担当官は、おじいさんとお父さんの名前はなんだと聞きました。「だけどさ、トマスとか、ジェフリーとか、ろくでもないアメリカの名前なんだよね、じいちゃんも父さんも。ご期待にそえなくてごめんなって感じで」。

どんな状況でもマイペースのオーエン。担当官の目には、だからこそ脅しのきかない恐ろしい存在に映ったのかもしれません。「どんなアクティビズムに関わっているんだ?」「ふつうに学校の教師ですけど」。入国管理担当官は「テロリストを捉えキャッチするのが自分の仕事だ」と宣言し、オーエンを放そうとしませんでした。何時間もずるずると続いた審査プロセスの末、「イスラエル国家の治安への脅威」と断言され、さらに19時間、拘置所に入れられた後、オーエンはアメリカに送り返されました。

ニューヨークから参加したビナは、パキスタン系アメリカ人で人権弁護士。才色兼備を絵に描いたような女性です。まだ若いのに全米法律家ギルド(NLG)の副会長を経験したことも。NLGはオキュパイはじめ、市民の抗議行動への法律支援で有名です。デモのときには緑のキャップをかぶって警察による違法行為や違法逮捕などがないかを監視し、デモ参加者は万一、逮捕されたときには、NLGに連絡をとれるよう腕にオフィスの電話番号を書いておく、そんな団体です。

テルアビブの空港で入国管理担当官は、ビナにこう言いました。「嘘をついてる。同じ話を繰り返すなら国外退去だ」。携帯電話を開くように言われましたが、ビナは拒否。携帯には自分だけではなく多くの人々に関する情報がはいっているし、拒否する権利があるからです。ビナもまた、7時間拘束された末、国外退去になりました。後になってビナは、「パレスチナの人たちが毎日、体験させられている圧迫のほんの一端に触れただけ」と自らの体験を語っています。

ブラック・ライブズ・マター(黒人の命も大事)


上の写真は、一緒に出発したもう一組のグループです。旅を企画したのは、ワシントンDCを本拠地とするIFPBInterfaith Peace Builders:異教徒間平和構築)という団体で、ユダヤ系とパレスチナ系の2人のリーダーを立て宗教やエスニシティを超えた旅をこれまでに何度も企画しています。「軍事化そして正義への道」というのが私が加わったグループの名前です。ネットでたまたま見つけ参加を決めました。

グループのリーダーは、シドニーとイジー。シドニーはベネズエラ系ユダヤ系アメリカ人でイスラエルで暮らしていたこともあります。いまはウェストコーストの住人でばりばりの反シオニストです。イジーはパレスチナ出身のお父さんと白人のお母さんとの間に生まれたアメリカ人のムスリムでおばあちゃんはじめ、親戚が大勢いるウェストバンクを8歳の頃から何度も訪れています。15歳になったときから、必ず、テルアビブ空港で別室につれていかれるようになりました。

一緒に出発したもうひとつのグループは「先住民と非白人」代表団という名です。IFPBが招待したアクティビストたちの一行で、リーダーは黒人のアンソニー、そしてイスラエル出身のエミリーがIFPBのスタッフとして両グループの面倒を見ました。先住民、黒人、ムスリムが中心に構成されたばりばりのアクティビストたちによるこのグループと私たちのグループとは、パレスチナでの訪問先が微妙に違っていました。ともあれ、このグループがアメリカに戻った直後にBlack Lives Matter がパレスチナへの連帯を宣言し、上記の写真がその意思を反映する映像としてオンラインで使われ、有名になりました。

ヨルダンから陸路で


今回、IFPBが企画した旅行でこんなに多くの入国拒否者が出たのは、ブリュッセル航空のお粗末が一因でした。入国の心得をしっかりたたき込まれて、いざ飛行機に搭乗という時になって、乗客の荷物を載せた車が「大風にあおられて」(え、風なんて吹いてたの?)航空機に激突、機体を壊してしまったのです。この航空会社は1年ほど前にもまったく同じ事故をおこし、その時の運転手は数ヶ月、停職処分にあったそうです。本日は欠航というアナウンスに、ゲート前で待っていた、特にブリュッセル経由でカメルーンやコートジボワールにお里帰りする人たちは、すっかり途方にくれていました。


結局、わたしも含めてグループの大半は翌日、予定していたのと同じブリュッセル経由便でテルアビブまで飛ぶことになりました。でも2グループ総勢40人の席を確保するのは難しい。そのため、数人が別ルートで先発する手はずが取られました。オーエンはミュンヘン経由、ビナはエチオピア経由の小グループにはいりテルアビブに向かったのです。国境でのさまざまな経験をもつスタッフやリーダーが同行できず、少人数での国境超えになったことが、空港でのプロファイリングを強めてしまった感は否めません。

気の毒だったのはビナで、国外退去に際しイスラエルはやって来たのと同じルートでの出国しか認めませんでした。もっていたテルアビブ=ブリュッセルの航空券は使えず、エチオピアへと遠路、追い出されるはめになったのです。

ビデオに登場する3人目は、ラマー。シリア系アメリカ人のラマーはヨルダンから陸路、ウェストバンク入りを目指していました。ムスリムのラマーは日頃からヒジャーブをかぶっています。国境で「旅行先を聞かれ、エルサレムとテルアビブをあげたら、『その格好でテルアビブのビーチに行くなんて、ありえない』と言われました。そして『あんたはテロリストだ。でなきゃ嘘つきだ』と決めつけたんです」。テルアビブの米国領事館に連絡をしたけれど、「時々、こういうことがおこりますが、我々には打つ手はありません」と言うばかり。6時間の拘束後、ヨルダンに戻るバスに乗せられました。

滞在許可書




わたしたちは確かにいささか目を引く団体でした。でも、出発前、ワシントンでのワークショップで入国に関して言われた注意は簡単でした。「ウェストバンクを視察しに行く」なんてもちろん、絶対に言わない。旅行の目的は観光。聖地を訪れる予定。嘘は言わないけれどほんとのことも言わない。余計な情報はわたさない。エルサレム、ベツレヘム、テルアビブは口にして安全な場所。団体なので全員の口裏が合うよう気をつけましょう。

「ウェストバンクに行くのか?」ともし聞かれたら「え、それって何?」と答えたっていい。でなきゃ適当にそらっとぼける。私たちは特に団体旅行、それもパレスチナ支援のポリティカルな旅だったので、行く先の口裏合わせをよけい厳しく仕込まれたのかもしれません。が、いずれにしても「ウェストバンクに行くのが目的よ」とうれしそうにあるいは敵対的に言い放つのは、何の得にもならない。誰にでも使える注意です。

警戒は、乗り継ぎ先のブリュッセルの空港から始まりました。どこに「スパイ」がいて誰が聞き耳をたてているかわからない、油断しないようにと釘を刺されました。ゲートでの待ち時間にも滅多なことは口にしない。携帯は空港からすでに機内モードにし、FACEBOOKのアカウントは携帯から一時的に削除する。入国管理担当官から携帯やPCをオンにするように言われても拒否してかまわない。携帯の番号を教える必要もない。結構、緊張です。

さて、いよいよ入国となり、イジーはやはり別室に呼ばれましたが、「いつもよりも短時間だった」と無事入国。わたしは何の興味ももたれず、すんなり3ヶ月間の滞在許可がおりました。でも、ブログ「パレスチナだより」によれば、入国の際の口頭審査次第で滞在許可期間が2ヶ月や1週間という人もいる。もっともこれはリピーターに多く、はじめての訪問では3ヶ月出ることがほとんどのようです。

ちなみに口頭審査で行き先のほか、どんなことを聞かれるかというと、滞在日数、入国の目的、連れがいるかなど、設問自体はどこの国でも聞かれがちなことです。でも、「知り合いはいるか」と質問された場合、その人の名前や住所まで、事細かに問いただされ照会される可能性があるそうです。

理由がなんであれ、審査官から怪しいと目をつけられると、別室につれていかれます。いやになるほど待たされ、やおら別の担当官が前と似たような質問をしてきます。この時、前の担当官に与えた答えとぶれた答えをすると厳しくつっこまれる。一貫して同じ答えを繰り返すのが重要だということです。

かつてはパスポートにイスラエルのはんこが押されるとイスラエルと敵対している中東諸国への入国ができなくなると懸念されたものです。でも、現在はイスラエルの入国時にイスラエルのはんこが押されることはありません。このぺらっとした滞在許可書があれば有効期間中は何度でも出入りが可能、パスポートにはイスラエルへの入国の記録は残らない方式になっています。


出国許可書




不愉快ついでに、出国についても触れておきましょう。出国許可書、これを手にいれなければイスラエルから出られません。でも帰国目前、グループ最後のワークショップで、こう言われました。「出国して家に帰りたい。さっさと出ていってほしい。という点で私たちとイスラエル当局の思いは同じです。ただ、イスラエル政府は好ましくない人物をいかにいやな目に合わせて二度と来たくないと思わせるか、そういう魂胆で接してくるので覚悟のほどを」。


空港では、見るからに猛者のそろった「先住民と非白人」グループを守るため、私たちひょろひょろグループは背後に回りました。「先住民と非白人」グループへのチェックはさすがに厳しく、ねちねちと時間のかかること。わたしたちグループも全員の口裏があうようしっかりトレーニングされていたのですが、実践の機会なく、出国スタンプを即、もらえました。でも、受難はこれで終わりません。キャリーバックをすっかりぶちまけての徹底的荷物チェック、カーテンの後ろにつれていかれての不快千万な身体検査が待っています。このプロセスがやたらに混み合い時間がかかり、フライト予定時間がとっくに過ぎても列は遅々として進みませんでした。

幸い飛行機は出発を待ってくれましたが、いつ見限って飛び立ってしまうともしれません。最後は全員、空港を全力疾走してゲートに向かう羽目になりました。この時も最後の最後までねちねちやられたのは、パキスタン系ムスリムのファリアでした。待ちに待っていたファリアがついに機内にはいって来る姿が見えたときには、グループ全員から安堵の拍手が巻き起こりました。


10桁のスティッカー



ところで出国許可書を与えられる際に、パスポートの裏に1から6までの数字で始まる10桁の数字が記された黄色のスティッカーが貼られます。番号には、こんな意味があると言われています。1は、白人のユダヤ系イスラエル人で最高ランク。2は、イスラエル人以外のユダヤ系白人と友好的な外国人、3は不審なところがあるイスラエル人と外国人、4は非白人のイスラエル人、5はアラブ系イスラエル人と問題のある外国人、6はパレスチナ人、ムスリム、および敵対的な外国人。

「敵対的」とは反シオニスト、あるいはシオニズムに疑問を抱いていると疑われる人物のことで、スティッカーの番号次第で、空港での扱いが違ってくるとされています。「敵対的」な外国人と共に、この地で先祖代々、おそらくはほかの誰よりも長く暮らしてきたパレスチナ人が最悪の扱いを受けるのです。

わたしに与えられたのは、この最低ランクの6はじまり。「さっさと出て行け」番号ですが、いいもん、こんなシールはさっさとはいで、またきっと行く。だってもう病みつき、「もっと知りたい、パレスチナ」なのです。

2016©Hideko Otake

次回は、「ナクバで廃墟と化した村、リフタ」を予定しています。

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